時間の流れに触れてみる

日々の観察

(読了目安:3分)


予定がぎゅっと詰まった日があった。

移動先がAとB。

そのあいだに、ぽっかり空く時間。

少し休みたい。

できれば、やりたいことも一つ二つ。

でも、頭の中だけで考えるには、ちょっと手に余った。

「どうしようかな」と迷っている時間の中で、じわじわと疲れがたまっていく。

だったら、一度、外に出してみよう。

そう思って、紙に書き出したのが最初だった。

 

ふり返れば、予定が詰まっているときほど、自然とそうしていた気がする。

書くことで、流れが見えた。

あとから振り返って、次はこうしてみようかな、という“工夫”が浮かぶ。

試すことが、ちょっとした楽しみになる。

 

最初に組んだ時間割は、

「家族の一員としてやるべきこと」──その時間を、まず先に確保するところからだった。

そうすると、自分が自由に使える時間は、思っていたよりずっと少なかった。

だからこそ、疲れを残さないように、すこし丁寧に時間を使いたくなった。

ぐっと集中したり、ゆるりと休んだり。

あとに響かないように、無理のないように。

 

「時間割」といっても、ピシッとしたものではない。

きっちり埋めなくてもいい。

あくまで目安。

せわしなく動くためではなくて、

そのときそのときを、ゆったり味わうためのもの。

不思議と、安心して過ごせるようになった。

 

【なんとなく過ぎていく時間】

休みの日。

ぽっかり空いた午後。

「何かしよう」と思っていたはずが、

気づけば陽が傾いている。

そんな時間の流れ方に、

ふと引っかかりを覚えることがある。

だらけていたわけではない。

気を抜いていたつもりもない。

それでも、どこかに

“少しもったいなかったかもしれない”という感覚が残る。

 

時間割という方法を取り入れたのは、

そうした小さな違和感を見過ごしたくなかったから。

あれもこれもと詰め込む必要はなくて、

細かく整えるためのものでもない。

ただ、自分の時間に

すこしだけ目を向けてみる。

それだけで、

流れがすっと整っていくことがある。

 

【まずは、書き出してみる】

手元に、白い紙を一枚。

気づいたときに、

そのときしていることを書き留めてみる。

「〇〇を読んでいた」

「昼食をつくっていた」

「なんとなくスマホを見ていた」

事細かに書く必要はないし、

毎回きっちり記録しなくてもいい。

ただ、思い出したときに、

目の前の時間に少し触れてみるだけ。

 

何度か続けていくと、

不思議と、自分の時間の流れが見えてくる。

そこには、

これまで見逃していたリズムや偏りが、

そっと浮かび上がっているかもしれない。

すると、ふと湧いてくる。

「この時間、もう少し大切にしたい」

「ここに、何か別のことを置いてみようかな」

それは、誰かに言われて始めるのとは違う、

内側からの、静かな欲求。

 

無理に変えようとしなくてもいい。

まずは、

ただ今をなぞってみることから。

 

【自由に過ごすための、小さな工夫】

時間割、と聞くと

きっちり決まったスケジュールや、

予定に縛られるような印象があるかもしれない。

けれど本当は、

もっとやわらかく、もっと自由なものでもいい。

 

そのときどきの感覚や、

暮らしの流れに合わせてゆるやかに使っていく。

うまくいかない日があってもいいし、

何も書き出せない時間があっても大丈夫。

大切なのは、

“今このときを、どう過ごしていたいか”という

自分の感覚にふれること。

 

時間に追われないために、

時間と仲良くなるために。

静かに整えていく。

その過程そのものが、すでに豊かな営み。

 

もし、どこかに引っかかるような時間があったら、

試しに紙を一枚、手元に置いてみてください。

その瞬間から、

すこしずつ流れが変わっていくかもしれません。

 

まず紙を一枚用意してみてください。

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