「からだの声」を聴く日常を送ること。
その結果、内側からの自然体を取り戻してほしい。
そんな想いで活動しています。
「からだの声」に気づいた経緯
運動音痴だった子どもの頃。
そもそも、教えてもらってもその通りにからだを動かすことができなかった。
からだはかたい上に、鈍臭い動きをするばかり。
小学校高学年の頃に、野球のバッティングでの「からだの使い方」を偶然発見する。
その結果、驚くほどパフォーマンスが変わった。
技術の土台になる「からだの使い方」という概念があることに気づいた。
そこからは、ひたすらに独学で自分のからだを実験台にして、試し続けた。
その時に気づいたのは、まずは「骨盤周り」から動かし方、認知の仕方を変えていくことだった。
運動神経の良い人(自然体に近い人)ほど、骨盤周りがキチンと動いていた。
過去の僕は、膝下肘下の動きばかりに着目して、パフォーマンスが安定していなかった。
骨盤周りの動きを真似すると”自然に”手足も理想的な動きをしていた。
これは大きな発見だった。
本質的な動きの発見
調べていく過程でみつけた「丹田」という概念。
最初は全く分からなかったが、骨盤周りの動きの開発をしていくとある日、臍下辺りに丸い玉があるような感覚が勝手に起きた。
この丸を意識上で操作すると、からだ全体が勝手に動くことに気づいた。
まさに人体の中心だった。
同じように、施術を受けに来る方々に「丹田」の意識が起きてくるように調整してみた。
すると、動きが良くなるだけでなく、姿勢の改善や痛みの減少が多くのケースで確認された。
どうやら、丹田はからだの中心なだけでなく、治癒力を引き出すともいえるような作用があることが確認できた。
※詳しく述べると別テーマを書けるくらい長文になってしまうので割愛。
今度は「丹田」そのものについて多くを調べてみた。
丹田の調査から神話に行き着く
丹田とは、氣を練って「丹」を生成する機能がある。
その「丹」を生成・摂取することが、不老長寿の肝要であり古代中国に居た仙人たちは「仙道」や「錬丹術」として行なっていた。
丹田とは、人体の中心であり他にも上丹田や中丹田がある。
丹田とは、第二チャクラに該当し、人生の目的や創造性の発揮、自己肯定感にも関係があるとされている。
などなど…。
いわゆる精神面や魂方面への記述が多く見受けられた。
最初はよく分からなかったが、日常的に丹田が在る状態で過ごしていくと、上記の内容に納得するような出来事が多々起きた。
現代科学では証明が難しい部分も実感として、確かに得てしまうと、もうこれは疑いのようのない事実だった。
さらに調査をすすめていくと、丹田の思想の根源には今から数千年も昔から遺されていた「易経」という書物に出会った。
この本はいわゆる儒教の経典の一つとされていたが、「占いの書」としての側面と「哲学の書」としての側面の二面を持つ不思議な書物だった。
※易経から陰陽思想が形になった説がある。
そして、この「易経」内の知識を与えたのが女媧と伏犠という神だった。
この神について調べていくと、世界創成神話をしることになる。
同時に、世界に点在する多くの神話内の世界創成は、殆どが同じこと言っていることに気づいた。
どの神話でも、神が人を作っていた。そして、神は自身に「似せて」人を作っていた。
…ということは人はほぼ神なのでは?という疑問と確信が出たが、ここはまた別の機会に記そうと思う。→別の機会
自然体とは
ここで一度、自然体の話しに立ち返る。
では自然体とはなんなのか?
それはすなわち、からだの声を聴く日常を送ることである。
神が創った完璧なからだは、持ち主以上に全てを知っている。
眠い、食べたい、排泄したい、などの動物レベルの欲求だけでなく、
どんな行動をしたいのか、今何をするべきなのかも、全てを知っている。
からだの声を聴く、というのはつまり、最高のアドバイザーであり相棒にたずねること。
もっと言うと、神に似せて、からだが作られているところからみると、もはや「神にたずねてる」ことにも等しいわけだ。
誤解を恐れずに言うのならば
自然体=神の声が聴こえている。
鏡(かがみ)から我(が)を取ると神(かみ)となる。
神道ではるか昔から、鏡に映るあなた自身も神ですよ。
とも語っていたように感じる。
僕自身は無宗教だが、からだの内側を辿っていったら神と出会ってしまった。
存在の確信を得てしまった。
そして同時に、自身の体験と実践をもとに、人々が内側の神と出会うのを手伝うことが仕事なんだという感覚を得た。
だから僕は、自然体を取り戻せるようにするお手伝いを仕事としている。
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