気づけば、最大公約数的な「在り方」に振り回されている

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延々と考えている「発信」方法について。

個人事業主としてやっていく上で、やはり「告知」が何より大事になる。

…なんて思っていた数年間だったけど、どうやら自分にとってはコレは「違う」ようだ。

論理的に考えると事業主として、どう考えても時間の許す限り

告知とサービス強化に時間を使い続けるべきなんだけど、どうやらそうではなかった。

仮に告知力がめちゃめちゃ高まったとしよう。

その先にあるのは、需要が増えた自分自身を取り巻く環境へ行ける。

需要があり対価を得て、より豊かな暮らしや体験をすることができる。

その結果不安なく、妻や子どもたちとのんびり暮らせる。

そんなストーリーが至る所の広告のキャッチでみられる。

しかし、それは自分が本当に辿り着きたい世界なのだろうか。

妻や子どもたちとお金の不安がなく、幸せに暮らしたいと思っている人には必要なことなのかも知れない。

しかし、自分自身にはまるでしっくり来なかった。

というか、自分の本来の願望からはかけ離れた行動の日々へのお誘いでもあったわけだ。

自分の願望は「妻と共に生きる」。これだけだった。

豊かに暮らしたいわけでもなく、子どもたちを経済的な不都合がない状態にしたいわけでもない。

そうなってくると、シンプルに「目的」が一般的な個人事業主の常識からは離れてくる。

お客さんが少ない時は、もちろん入ってくるお金が減る。

しかしそれは、天からの思し召しなワケで「今はこの量のお金で暮らしなさい」」というお告げだと感じる。

自然の流れの中で、必ず「波」がある。

良い時もあれば悪い時もあり、それは部分的にはコントロールが可能だけど完璧に人の手でコントロールすることは不可能だ。

それは、雨が降るのがほぼ確定しているのにも関わらず、雨具等の用意をしないことにも似ている。

自然の摂理に逆らうと身を滅ぼす。

これは、過去の歴史でも何度も繰り返されてきたこと。

そこから考えると、「完璧な」安定など存在しなくて、大切なのは変化の流れを読んで事に当たること。

それだけだ。

ゆえに、不安にかられてからの行動は本質的には、適切な行いとはいえず、目先の安心感は生むが長期的には常にストレスを抱え続けることになる。

健康な長命を望んでいる自分としても、取るべきでない選択だ。

結局のところ「今の自分はどうしたいのか?」に一瞬一瞬、丁寧に向き合うことしかできないのだと思う。

こういったところから考えると、自分がとるべき「発信」方法はマメにSNSを更新することではなく…。

・扱い方を理解した上で必要な時に適切な加減で活用する

つまり「良い加減」でSNSを触るだけ。

いきなりこの結論を文字で知っても意味はなく、紆余曲折の体験があった上で最終的にたどり着いたからこそ、意味がある。

これは、あらゆる「探求活動」での基本になる考え方だと思うけど、その話しはまた別の機会に…。

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