仮説)念じると「今」を生きられるかも
「今を生きる」というと自己啓発本とか「心理学の結論」みたいな話しでよく出てくる印象。では、「今を生きる」というのはどういうことだろうか?
自己啓発的な「今を生きる」では過去でも未来でもなく、目の前のことに集中している状態。とも言われている。
要は、過去や未来に囚われているから、クヨクヨ悩んだり落ち込んだりするんだよ。みたいなことを言っているようだ。
そのためのワークとして「深呼吸」だったり「マインドフルネス」だったり「運動」や「日記」がよく出てくる。
今回はここに対して…念じるだけで「今」を生きることができる。と仮説を立ててみた。
根拠
念 = 今 + 心
以上。
最近得た知見として、漢字や文字は形そのものに意味や力が宿っている。なので漢字の成り立ちはとても重要だと思うのです。
で、ここからさらに飛躍させると
愛 = 受 + 心
つまり
「受」の自分が誰かに「念」じてもらうことで「愛」に満ち、今度は自分が「念」じて誰かに「心」をつなげる。
念じる時、というのはある意味祈りにも似ているのかもしれない。太古の昔は祈祷や占いの結果で国や組織のいく末を決定していた。というか、今でも天皇の業務(この言い方は怒られそう)の大半は「祈り」である。※「宮内庁」HPで詳細
そして何より「感謝」の波動は強力。
①椅子とか鞄とか重たさを感じるものを持ち上げる②心の底から本氣で「ありがとう」と言いながら持ち上げる③嫌なことを想像しながら持ち上げる
結果はどうだっただろうか?適当な「ありがとう」でも案外力が増すけど、やはり本氣で唱えてからの方が軽くなる。
筋反射とか科学的根拠をつけることもできるのだけれども、それより「心」の動きを注目して欲しい。
先に「ありがとう」と感謝の心(念)を出すから、愛が受に代わり、また心を受け取る準備が整う。この心の循環が、人類が本来持っているエネルギーを交流させる機能なのではないのだろうか。
このエネルギーの交流を可視化したのがお金なわけで、本質的には感謝の循環が本来在る姿なのだと思う。
こうして考えてみると、経済の勉強で出てくる「no pain no gain」痛みなくして得るものなしにも通ずるところがある。
まとめると
幸せに「今」を生きたいのなら「念」じて感謝を伝える。
「愛」から「心」が抜けて「受」になる。
そうすれば法則がはたらいて、他者から「心」を「受」けて「愛」でみたされる。
そしてまた「念」じることで「心」が循環して社会が「愛」でみちる。
これが今の僕が考えている人間社会の基本構造
何に感謝して良いかわからない人は、ひとまず自分のからだに感謝することをおすすめする。24時間片時も離れずにあなたと共に居てくれているのだから。
バイオフォトンとかの話もしたかったけど、記事の構造がめっちゃ複雑になりそうなのでまた今度書きます!ここら辺が理解できると、なぜ感謝や祈祷が重要なのかの根拠をより一層強化できるので、興味が在る人はぜひぜひ調べてみてください💡
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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