とある日の施術風景in立川 2023/4
モノを担いだ際の、肩の痛みへの施術。
「痛み」への対処の場合、基本的には『痛みを再現すること』がポイントになる。何をすると痛いのか、何をすると痛みが減るのか。
この場合は、悪化でも改善でもどちらでも良い。
大切なことは何を「指標」とするかだ。
ここを不明瞭なままに進めても、なあなあな施術の連続になってしまい、依存関係を構築しやすい施術のすすめ方になってしまう。
このすすめ方自体は、さまざまな院で当たり前のように取り組まれているが個人的には、この進め方は好きではない。
痛みと向き合うためのアシスタントとしてみてもらえる関係性が、個人的には望ましい。
今、会えるからといって次も会えるとは限らない。
一期一会の関係を前提にしているからこそ、受け手も主体的に「痛み」と向き合えると感じている。
治す人⇆治される人
の関係性の中に、僕自身が望む、心地よい横並び関係性へは向かえない。
だいぶ脱線したので、動画内の説明に戻ろう。
担いだ際の肩の痛み。
この方の場合は、特に担いだまま肘を持ち上げた際に、はっきりしない部位に痛みが出る。
いろんなパターンで担いでもらううちに、肩甲骨が肋骨から離れると、痛みが軽減されることが確認できた。
肩甲骨は、本来は背中に張り付いているモノではなく、背中を自由に動き回れる、離小島のような存在。
それが、いつからか、背中にガッツリと張り付いてしまい、肩関節が無駄に仕事をして痛みを訴える。
ちなみに、大体の四十肩もこういう点が原因になっていることが多い。
ここまでで、
肩甲骨が不自由な結果、痛みがでている。
というところまでは分かった。
こういった場合は、ほとんどのケースで「肩甲骨の下制」が意図的にできない。
筋肉的に言うと「広背筋の機能不全」とも言える。
広背筋は、目で見えずらいところに位置しているのもあって、殆ど認識されていない。
構造的には、腕と骨盤を直接繋ぐ、数少ない筋肉。
体幹のチカラを腕に伝達するパイプ役のような筋肉。
この方の場合は、肩の痛みと同時に体幹部の不安定性も確認できたので、この時点で「広背筋の機能不全による肩の痛み」とアタリをつけて施術にのぞむ。
00:10辺りで行っているのは「広背筋」の機能確認。
広背筋から腕を動かせば、人は簡単に動かせる。
逆に腕のみだと、相手を崩すどころか、自分の重心がうわずり、つんのめる感じになる。
いわゆる「グランディング」も広背筋を使えてこそ。
広背筋の機能には「安心感」も関係するわけだ。
広背筋へ軽く命令を入力するだけでも、立ち姿勢の安定性(体幹部の安定性)が向上した。00:20辺り
ベッドに寝る前の時点で、すでに広背筋の不全問題は解決したので、次に「なぜ広背筋が不全になったのか」を探す。
本人の自覚のない、心の動きや問題は背骨周りに現れる。
よほど、精神への感性がないと、なかなか自覚はでない。
そのために、施術者側が直接、対話するために触る。
そんなイメージで取り組んでいる。
「背中」という部位は面白いモノで、生き様が現れる。
「背中で語る」という言葉のように。
また「肚(腹)」は心の内を表している。
「肚を割って話す」とはいったモノで、直接的に肚を触りながら対話をすることで、自覚のない本心に、本人が気づく一助となる。
見た目的には、殆ど「揺らしている」だけ。
それでも、カラダや肚の中ではさまざまな変化が起きている。
施術者側の感覚としては、本人とはあまり会話していなくて「カラダの声」と対話しているような感覚。
「カラダの声」の伝言役がメインの仕事と言えるかもしれない。
ある程度、背骨の声をキャッチしたら、あとはその声の要望に従い触るのみ。
そこには、理論や論理などもなく、感じたままに触るのみ。
この時に知識から引き出して組み立てると、だいたいロクなことにならない。
机上の空論に、受け手を当てはめてはいけない。
そして、左右の対称性にも全く拘っていない。
極端に言うと、右しか触らない時もよくあること。
杓子定規に、対称性を作る必要がない。
受けてのカラダの声へ信頼を寄せる姿勢でのぞむ。
その他、施術内ではもちろん受け手とのプライベートな会話もするので、その点は当然だけど、記述を差し控える。
01:55辺り。
体幹部の安定性と、肩の痛みの確認を行う。
痛みの軽減はもちろんだが、体幹部の安定性が大きく向上した点が良い感じだ。
結局のところ、まずは「立つ」こと。
ここをおろそかなままでは、カラダとしての強度だけでなく、本来の代謝機能も十分には働かなくなってしまうので、基本はココ。
自分がキチンと立っていれば、他者の不安定な部分もよくみえるようになる。
それは、カラダだけでなくココロもだ。
02:08辺りでは、キチンと立てた「先」にある動かし方のコツを確認している。
「力を入れる」と「力を込める」の違い。
カラダを回すの本当の意味。
今回は「突き」の動作で確認をする。
腕の力を抜いて、ぽーんとカラダを回すだけ。
それだけで、奥に響くようになる上に、自分の姿勢も崩れない。
一見すると武術のようだが、その手前の段階の話し。
赤子の頃のカラダの使い方を思い出してもらっているだけ。
基本となる「動かし方」があり、その他の動作は応用にすぎない。
包丁をまっすぐ使えない人が、均一に切ることはできないのと同じように。
カラダの動きの基本は、二足歩行で生活できてる時点で、通過している証拠となる。立ち上がったばかりの、頭が重く手足の筋力でまるでなかった頃はどう動いていただろうか?
これを思い出すだけで良い。
また、そのための助けしかしていない。
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